つい先日、SNSのバッシングによって22歳の女性プロレスラーが自殺するという悲しい事件が起きました。SNSでの炎上や口論は、毎日のように見かけます。「悪いことをしたから罵られて当然」というのは、本当なんでしょうか? 今回は、一見まともな「正論」の危険性について解説します。
Lily-Jay編集部

writer :

Lily-Jay編集部

コロナ前と後と比べて、SNSを見る時間がはるかに長くなったという人、意外と多いのではないでしょうか。
特にTwitterでは、昔から「炎上」する文化があり、失言や過失に対して暴言を吐くことが横行しています。
また、政治問題やフェミニズムで過激な発言をする人たちもたくさんいて、フォローしている数や対象にもよりますが、日々様々な意見を目にすることになります。

そんな中には、あなたとはまったく違う意見を言う人も当然ながらいるわけです。
女性叩きをする人、政治的にまったく違うスタンスを取っている人、自分の実践している何かを反対している人、自分が好きな作品を嫌いな人。今もどこかで小さな小競り合いが起こっている。それがSNSの世界です。

他人は言葉では変わらない

さて、ここで質問です。
自分とは違う意見を持っている人と遭遇したとき、あなたはどんな行動を取りますか?

①冷静に説得する
②大声を上げて否定する
③情に訴えかけて理解してもらうように努力する

正解は、全部×です。
特に信念に近い部分ほど、変えることは困難です。

自分に置き換えて考えてみてください。

例えば、あなたはケーキが好きだったとします。
でも、誰かが「ケーキは体に悪い」といって、いかにケーキが害を及ぼすか、懇々と説得したとして。
あなたはケーキを食べなくなるかもしれませんが、「ケーキが好き」という気持ちは変わらないはずです。

行動は変えられるかもしれません。
しかし、他人の言葉でケーキを嫌いにすることは不可能なのです。

ただし、あなたがケーキを嫌いになる可能性はゼロではありません。
それは、トラウマ級に美味しくないケーキを食べてしまったとか、ケーキの食べすぎで糖尿になってしまった(挙句、失明や足切断に至ってしまった)といった、体験に基づく理由です。

そう、人は言葉では変わりませんが、体験では変わるのです。

誰かを変えたかったらその体験を提供すること。ですが、SNSなどの言葉の応酬ではそれは不可能ですよね。
つまり、SNSでの議論は無意味ということです。

「正義」は人を気持ちよくさせる

人が一番残酷になれるのは、自分が正義だと思い込んでいるときです。
あらゆる戦争は、「正義の戦い」でした。
キリスト教圏では美談として語られる十字軍は、イスラムや東方正教会諸国にとっては侵略でしかありませんでした。
勧善懲悪のドラマは、悪がとことん痛めつけられることでカタルシスを得ます。自分が正義と信じる限り、悪に情けをかけることはありません。どんなにひどいことをしても、相手が悪ならば許されるのです。

自分が正義と信じることは「気持ちいい」ことなのです。

「正論」で人を殴ることに依存する人たち

SNSには、この「正義」に酔って依存している人たちがたくさんいます。
炎上に加担することは、その依存に片足を突っ込むこと。
「この人のためを思って言っている」
という言葉は、その依存から目をそらすための大義名分でしかないのです。

SNSで誰かが言っていることにモヤっとしたり不思議に思ったとしたとき、何かを書き込む前に自分に問いかけてみましょう。
「誰かを罵ることで、自分が気持ちよくなりたいだけではないのか?」と。

とはいえ、SNSで意見を表明することは悪いことではないです。でも、「誰かが怒っているから許せない」ではなく、「私は許せない」でいいのだと思います。

関連記事

カテゴリー